生きるべきか死ぬべきか。それが「本当に」問題だった。
「ラファエル前派」って聞いたことありますか?
19世紀末のイギリスで流行った、ミレイ、ハント、ロセッティを中心とした画家集団です。
彼らが描いた作品の中でも、特にこれは来日したこともあるので、ご存じの方も多いのではないでしょうか?
シェイクスピアの『ハムレット』に登場するオフィーリアが、父親を殺されて溺死する直前に歌いながら川に浮かんでいる場面を描いた作品です。
実はこの作品、制作秘話がかなり壮絶なんです。
描かれている女性はエリザベス・シダルという当時に実在した人物なのですが、ミレイは真冬に彼女を水を張ったバスタブに長時間浮かべたままこの作品を描きました。
彼女は体調を崩して肺炎になりかけてしまいます。彼女の父親はミレイを後に訴えました。まあ、当然ですね。
ただ、彼女の話はここで終わりません。
その後シダルは、ミレイの仲間のロセッティと結婚します。しかし、幸せな生活は送れませんでした。ロセッティの女性関係に悩まされ、結局はアヘンの過剰摂取により自殺してしまうんです。
ロセッティのこの作品に描かれているのは、アヘンに悩まされていた時の彼女です。彼女の死を悲しんで描かれた作品なんです。
おそらく彼女は死ぬべきではなく、生きるべきだった。
でも何も知らない外野の人間には、もしかしたらそんなことを言う資格なんてないのかもしれません。
やきものっていいな♪
《印象・日の出》の面白さ
言わずと知れたこの作品。皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
この作品は、1872年にモネが故郷のル・アーブルの港を描いたものです。
実は、「印象派」や「印象主義」という言葉はこの作品がもととなって生まれました。
ちなみに、ここでいう「印象」という言葉が意味するのは、彼がル・アーブル港を見たときに「自身が抱いた印象」のことです。
この作品は元々は単に「日の出」というタイトルで1874年の第1回印象派展に出品されました。
それを、当時の保守的な批評家であるルイ・ルロアが揶揄して「印象派たちの展覧会」と評したのです。当時の美術界の権威であったサロンからみると、まるで未完成なもののように映る「印象」という概念自体が好ましいものではありませんでした。
「印象」という言葉は展覧会の図録を製作する際に、あまりにシンプルすぎるタイトルに注文がついたため、モネ自身が後から付け足したものです。
近代化の進む奥の工場群と前近代的な手前の手漕ぎボートが好対照をなしていますね。
もしかすると彼は、時代の移り変わりを「日の出」というタイトルに込めていたのかもしれません。
岸田劉生展
東京ステーションギャラリーで開催中の「岸田劉生展」に行ってきました!
岸田劉生《麗子肖像(麗子五歳之像)》
上の作品は、愛娘の麗子を描いたもの。
下の作品は、代々木の風景を描いたもの。
どちらもすごく細かくて写実的ですね。
実は岸田劉生は、西洋画の影響を大きく受けたのですが、その相手がデューラーやヤン・ファン・エイクなんです。
どちらも細密描写が特徴の写実的な画家です。
デューラー《自画像》
ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻像》
自身が受けた影響を素直に受け止めて、それを高めていく・・・。
「口で言うほど簡単では決してないこと」を見事に成し遂げた画家であるという印象を私は受けました。
みなさんはどんな印象を持つでしょうか?
是非、本展を訪れてみてください。